豊山派の主張

Vol.20 「新しい時代を迎えて-悟りに近づく-」

真言宗豊山派 総合研究院院長 加藤純章



  この5月から、元号は令和に改まり、新天皇が即位された。上皇陛下ご夫妻の長年にわたるご労苦に感謝申し上げるとともに、新たな天皇・皇后両陛下のつつがなきご健康とご活躍をお祈り申し上げる。
  新しい時代には、なにごとも生き生きとして、清新の力がみなぎる。その反面今後の不安と自信の無さも見られるが、その未熟さがかえって魅力的である。

  仏教もそのはじめ、釈尊はブッダガヤーの菩提樹のもとで悟りを開かれた後、この教えはあまりに難しいので誰も理解できないだろうと考えて、人々への説法を躊躇された。そのとき梵天が現れ、その勧めによって釈尊は、人々のために布教の旅に出る。ブッダガヤーから250キロほど離れたベナレスの郊外サールナートの<鹿の園>で、5人の修行者に会い、釈尊は最初の説法を行う。いわゆる「初転しょてん法輪ぼうりん」である。釈尊は彼らに中道・四諦・八正道・無我・縁起等を説かれたという。
  ほどなくコーンダンニャ(憍陳如)が悟った。『律蔵』「大品」によれば、彼に「法の眼」が生じ、「知恵」と「光明」が生じた。釈尊は「実に君よ。コーンダンニャはこのことを理解した(知った、悟った)のだ、コーンダンニャは理解したのだ」と言われたという。いままでもやもやしていた頭に、まったく新しい光明が生じ、確固としたものがひらめいたのである。ほどなく他の4人の修行者も悟った。

  『律蔵』はこの項の終わりを、「このとき世に6人の阿羅漢あらかん(人格完成者)が存在することになった」と結んでいる。最初期の仏教では、釈尊も弟子たちも理解した内容は同じであり、到達した境地はまったく平等だった。清新な爽やかな雰囲気が満ちみちていた。仏教はこの後次第に複雑な修行論を展開して、悟りは人々から遠いものになってしまった。

  弘法大師空海が真言密教に出会ったときも、不安と苦しみに満ちていた。18歳で大学に入り、退学してからは山林修行者として仏教に心を向けるが、従来の仏教には満足できない。『性霊集』には「経路けいろいまだ知らず、ちまたに臨んで幾たびか泣く」とその苦しみが、記されている。
  そのときに『大日経』に出会ったのである(一説にはそれは、大和の久米寺であったという)。この仏、大日如来は宇宙を包み込む大きな仏であり、この宇宙のすべての存在を大慈悲をもって愛し尽くしてやまない仏であった。聡明な空海法師は、「この仏こそ自らを救い、また一切衆生を救う如来である」ことをはっきり理解したのである。

  青年空海法師の到達した『大日経』の悟りを、我々もまたこの新しい時代の初めに理解し、追体験したいものである。難しいことは必要ない。一番簡単で素朴な形で十分である。そこに大師の生き生きとした清新の気持を感じたい。青年空海法師の得たものは、私たちも現に近づき得るはずのものなのだから。

  まず「空」と「慈悲」に基づく三密行を修行する。三密行とは大日如来の身・口・意の行い(三密)に、私たちの身・口・意の行いを近づける練習である。まず身(手)で金剛合掌を組み、つぎに口で光明真言を唱え、意(心)に大日如来を想う。この修行にはかなりの時間がかかるが、楽しんで行おう。

  しかしある時突然、私たちには悟りを求める心(菩提心)が生じ、次の瞬間人々を愛そうという大日如来と同じ慈悲心が生じ、同時に人々の役に立とうと、自然に体が動き始める。この一瞬こそ『大日経』の悟りであり、我々は胎蔵曼荼羅に入ったのである。そのとたん、我々の世界はいわば白黒の世界からカラーの世界に変わるのである。それは初期仏教のコーンダンニャに「光明」が生じたのとおなじで、広々として明るい、高貴にして力づよい、全くずるさの無い世界である。このとき我々にはすでに、人を助ける姿勢ができている。曼荼羅とは、単なる絵画ではない。誰にとっても立体曼荼羅でなければならない。

  この悟りの境地は、「大日経の三句」といわれ、経典には「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟となす」と記されている。といってこの悟りの境地をいつでも保てと言うのではない。毎日の生活では食事もすれば、睡眠もとるし、トイレにもいかねばならない。テレビも見、読書もしなければならない。大事なのはこの境地にいつでも入れる心の用意ができていることである。

  実際の修行には、僧侶のかたに手ほどきを受けるとよいだろう。そして青年空海法師の感激を改めて感じたい。後年の大師は常に、すべての人々が自ら努力して、この境地に入ることを願っていたのである。




令和元年6月1日