真言宗の歴史
仏教の流れ

今からおよそ2500年前。お釈迦さまは4月8日(花まつり)、ヒマラヤ山脈の南のふもとルンビニーで誕生されました。お釈迦さまは、人間の「苦」(何事も思い通りにならないと知りながら、思い通りにしようと願うこと)を克服するために修行を重ね、35歳の12月8日(
成道会
)悟りを開かれ、仏教は始まりました。
80歳の2月15日(涅槃会
)、お釈迦さまは完全な
寂静
の境地・涅槃に入られました。お釈迦さまの説法集である経典、個人・教団の戒律集である律典が成立しました。ただしお釈迦さまの死後2~300年間は口伝えであり、紀元前1世紀頃にパーリ語で明文化されていきます。さらには教説の整理分類の必要から、研究書である論典が著されました。
紀元前2世紀頃には、戒律の実践、物や心の考え方の相違をめぐって2派に分かれました。紀元前2世紀頃からその後200年にわたっては、20部派に分裂し、紀元前1世紀頃から大乗経典が登場することになります。この流れは教えの研究と論争、教団の分裂という学問仏教から、生きとし生ける人間を中心とした大衆仏教への展開でもあります。7世紀中期には、密教の根本経典である『大日経
』、『
金剛頂経
』が成立するなど、
八万四千
の法門といわれる仏典は、一千年に及ぶ期間において編纂され、
大蔵経
、
一切経
としてまとめ上げられました。
このようにインドに起こった仏教は、時代とともに、そして伝播の経路により、分派・変化してきました。西域(中央アジア)を経て、中国には前漢の哀帝
代、紀元前2年(諸説あり)に、朝鮮には
高句麗
に370年代に伝来し、日本へは欽明天皇代の538年(552年説あり)が仏教公伝(
百済
の
聖明王
が使者を遣わし仏像、仏具、経巻を送ったという伝来)といわれています。
その後、聖徳太子が仏教の理想に基づく統一国家の建設を目指し、法隆寺を建立しました(飛鳥文化)。また、奈良時代には唐の都・長安にならい、律令国家にふさわしい平城京を造営。聖武天皇は東大寺建立、国分寺を建立するなど、天平文化の花が開き、桓武天皇による平安遷都、そして弘法大師空海の時代となっていきます。
80歳の2月15日(
紀元前2世紀頃には、戒律の実践、物や心の考え方の相違をめぐって2派に分かれました。紀元前2世紀頃からその後200年にわたっては、20部派に分裂し、紀元前1世紀頃から大乗経典が登場することになります。この流れは教えの研究と論争、教団の分裂という学問仏教から、生きとし生ける人間を中心とした大衆仏教への展開でもあります。7世紀中期には、密教の根本経典である『
このようにインドに起こった仏教は、時代とともに、そして伝播の経路により、分派・変化してきました。西域(中央アジア)を経て、中国には前漢の
その後、聖徳太子が仏教の理想に基づく統一国家の建設を目指し、法隆寺を建立しました(飛鳥文化)。また、奈良時代には唐の都・長安にならい、律令国家にふさわしい平城京を造営。聖武天皇は東大寺建立、国分寺を建立するなど、天平文化の花が開き、桓武天皇による平安遷都、そして弘法大師空海の時代となっていきます。
真言宗の成立
開宗の背景
奈良仏教は、南都六宗(
法相宗
、
三論宗
、
成実宗
、
倶舎宗
、
律宗
、
華厳宗
)と呼ばれる学問仏教、学派というべきものでした。
律令体制の中、寺院は官寺
で、僧尼は
官吏
(国家公務員)の様に
僧尼令
によって統制されました。そして、
鎮護国家
の為の仏教、いわゆる国家仏教というものでした。僧侶たちも仏教の教えによって人々を救うというより、難解な理論研究を中心としていました。
しかし、やがて人々のために生きようとする僧侶たちが、山林に苦修練行
して自らを磨き、人々のための仏教が新たに生まれてきます。平安遷都にともない新しい国づくりを目指す日本では、その原動力となるような、生命力に満ちあふれた新しい教えの出現が求められていました。このような時代的・社会的な課題をふまえて、真言宗は開かれたのです。
律令体制の中、寺院は
しかし、やがて人々のために生きようとする僧侶たちが、山林に
開宗の意義

こうした背景の中で、弘法大師は人生の「苦」を乗り越える仏教を求め、唐の国(中国)へ留学します。
その都・長安(今の陝西省
の西安)の
青龍寺
で、インド以来の密教の正統を伝える第一人者、
恵果阿闍梨
にめぐり合いました。
そして、その教えを始め、経典類、儀礼に関する書や法具など、あますところなく継承します。
つまり、密教の正統な伝承者(付法
、
伝持
の第八祖)となって、最新の知識や見聞をも身につけて帰国されました。
その後、密教の教えを組織的に体系化して、時代に即応する真言宗を開宗されたのです。
その都・長安(今の
そして、その教えを始め、経典類、儀礼に関する書や法具など、あますところなく継承します。
つまり、密教の正統な伝承者(
その後、密教の教えを組織的に体系化して、時代に即応する真言宗を開宗されたのです。