季刊誌『光明』

令和2年-秋-第216号



夢枕獏と空海




  二十四歳の空海について想像する。

  まずは、せいかんな顔をした若者であったろう。眼は強い光を帯びていて、肉体はがんけん、周囲の大人たちについては、厳しい批判者であったろう。

  根拠はある。彼が二十四歳の時に書いた『さんごう指帰しいき』という、日本最初の長編小説を読めばわかる。ちなみに書いておけば、我が国最初の長編小説というと、『かぐやひめ』をあげる方も多かろうと思われるが、そうではない。空海の著わした『三教指帰』が先行している。

  どのような本か。

  儒教と、道教と、仏教を比較して、仏教が一番優れていると宣言した本である。空海は、この本を、世間に対して叩きつけるようにして出家してしまうのである。出家の決意表明の書である。

  空海は、十五歳の時に、四国の讃岐さぬきから都に出てきた。おそらくは、親類縁者の金を集め、それを費用にあてたのであろう。都へ出てきて、出世し、朝延でよき役職につき、自分の所属する佐伯一族の繁栄のため、期待を一身に受けての上京であったろう。

  大学に入った。当時、大学で学ぶべき一番の学問と言えば、儒教であった。儒教を学び、漢籍を暗記する。それが出世コースを登ってゆくために必要なことだったのである。

  どういうわけか、空海は、その出世コースから自分の意志でドロップアウトしてしまうのである。

  儒教と言えば、所詮は人間関係の中で、いかに出世してゆくかという学問である。道教は、自身が修行して仙人となり、天界に遊び、不死となって生きる――これもただ自分さえよければよいという教えであり、この世の真理、宇宙について何も語ってはいないではないか。このように空海は言うのである。

  この時代にあって、人が生きるのは出世のためでなく、不老不死となって遊ぶためでもなく、宇宙の真理を知って、人のために生きることであると、二十四歳の若者が、激しく世間にえかかるのである。

  「おまえたちの信じている価値観は、間違っているぞ」

  この時の空海は、間違いなくロック野郎である。この時期の空海のことを思うと、いつも涙があふれ出てきてしまう。なんとたいへんな道を、この若者は選んでしまったのか。

  東北では、鬼があばれている。都はおんりょうで大さわぎ。よくぞこの時代に空海という世界人が、この日本国に生を受けたものだと感慨を覚えずにはいられない。

  今の日本人の持つ精神性の何割かは、空海がいなかったら、存在しなかったものであろうと本気で思っている。





夢枕 獏 (ゆめまくら ばく)
作家、1951年1月1日、神奈川県生まれ。東海大学文学部日本文学科卒。
1977年に作家デビュー。1989年『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞、1998年『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞を受賞。2011年『大江戸釣客伝』で泉鏡花文学賞と舟橋聖一文学賞を受賞。同作で2012年に吉川英治文学賞を受賞。『陰陽師』(漫画 岡野玲子)が第5回手塚治虫文化賞、『神々の山嶺』(漫画 谷口ジロー)が2001年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。 映画化された作品に『陰陽師』『陰陽師2』(東宝)、『大帝の剣』(東映)、『空海-KU-KAI-』(東宝、KADOKAWA)原作『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』などがある。



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