VOL.3 秋のお彼岸を迎えて

VOL.3
秋のお彼岸を迎えて

 またお彼岸になりました。皆様それぞれお墓参りされるかたも多いと存じます。戦後の昭和23年に施行された「国民の祝日に関する法律」を見ますと、春分の日は「自然をたたえ生物をいつくしむ」とあり、秋分の日は「先祖をうやまいなくなった人々をしのぶ」とあります。こんな説明は、恐らく戦後の混乱期に無理に春秋のお彼岸を区別して定義づけたのでしょうが、そんな区別はもともと無いのでして、私たちは、お盆と、そして春と秋のお彼岸に先祖のかたがたの供養をおこない、お墓参りをする習慣を永く続けているのです。日本人は昔から先祖を大切に祭る習慣の篤い民族で、これは世界にほこるべき美しい風習であります。

 インドの古語であるサンスクリット語のパーラミーターは、最高のところに到達するという意味で、中国でこれを「彼岸に到る」と訳し、こちらの岸(此岸)からあちらがわの理想の岸(彼岸、つまりほとけの世界)にわたろうと呼びかけるのです。この仏教の目標が日本ではご先祖さまのお墓参りと融合して春と秋のお彼岸になったのでしょう。

 では、春分の日と秋分の日をお中日と定めたのはなぜでしょう。なにごとにも中道を尊ぶ仏教だからという意見もあります。あるいは西方に極楽浄土があるとする考えから、一年のうちで昼と夜の長さが同じという春分と秋分の日は、太陽が真東から昇って真西に沈むから、その両方の入り日を拝めば仏さまの世界を拝むことができるという発想もありましょう。

 わが国のお彼岸の起源は、『日本後紀』の大同元年(西暦806年)春秋2回、国分寺の僧侶たちに金剛般若経を読誦させたという記事が最初と思われますが、その後は平安朝の物語に彼岸会の行事が記されていますからその頃はすでにさかんにおこなわれたのでしょう。しかし、インドにも中国にもお彼岸に皆では墓参りをするという風習はないのでして、まさに日本人の独特の行事だといえます。日本人のほとんどの人々(九割)がお墓参りをするのですから、まことに驚くべき数で、まさにお盆やお彼岸は国民的な行事だといえます。

 この頃のテレビを見て感じるのですが、人間は、宗教というものをもう一度よく考え直す必要があると思います。なにか不思議な奇妙なことが起こるとみんな宗教のことだと思うのは間違いです。あやしげな程度の低い教祖に引きずられてとんでもない落とし穴に落ちてしまいます。キリスト教のいう奇蹟なども、私にはとても信じられない話です。私たちは不思議なことを無理に信じることはやめて、現実を率直に受けとめ、正しく、かたよらずに観察して、精一杯に努力し、あとはご先祖さまや仏さまにお任せするのがよいと思います。

 私たち日本人があたりまえのように続けているお彼岸やお盆のお墓参りこそ、最も健康的な、最も人間的なものだと思いますし、本当の心のやすらぎになると考えております。

 こうしたまじめな生活を続けていくと、本当の意味で深い、広い仏さまのお心につながっていくのだと思います。不思議な思いからではなくかたよらないこだわらない思いから入って行けるのが仏教の特色なのです。

 最後に『法句経』を引用して結びといたします。

真言宗豊山派総合研究院院長 加藤精一

※本頁の肩書きは、寄稿いただいた当時のものです。