VOL.2 不安な時代を生きるために

真言宗豊山派総合研究院 院長 加藤精一

年があらたまっていよいよ21世紀に入ったが、伝えられるニュースは、相変らず血なまぐさい悲惨な、不穏な事件ばかりで、先が思いやられる。
  成人式には、各地でエチケットをわきまえない一部のお調子者たちの様子が報じられて、教育がゆき届いていないことを嘆いた。一体全体日本はどうなってしまうのだろう。おおかたの日本人は将来への不安にかられている。
  しかしよく考えてみると、こういう時こそ本当のものが求められるのではないのか。多くの心ある人々の不安を少なくすることができるものこそ真の宗教なのである。人々の不安や危機感に乗じてあやしげな宗教が蔓延する。いかさまな宗教家が最も活躍しやすい時なのである。こういう時こそ右往左往せずに冷静に考えて、真実の道を進もうではないか。
  道徳がすたれてくれば、それにともなって犯罪が増加してくる。そして取締りが厳しくなって自由な気分が少なくなってくる。こういう時代に、真の自由と平和をめざす集りがある。これがわが真言宗なのである。いや真言宗だけでなく、わが国の伝統宗団は、仏教の旗の下に広く心の解放をめざしている。特に真言宗は、弘法大師空海という指導者のおかげで、以来1200年間、わが国で脈々と生き続けてきた教えで、弘法大師のお考えは、時代の変化に応じて生かされ尊ばれてきたのである。
  弘法大師の思索のポイントは次のように説明できる。人々はそれぞれ顔かたちが異なるように、生き方や価値観が異なっている。宗教ひとつひとつとっても古今東西さまざまな教えがある。人々が好みや環境に応じてそれぞれ生きているのが現実なのである。それらをすべて肯定したうえで、静かに観察してみると、一見ばらばらなように見える人々の心の種々相は、ある共通の原点に向かって大きく流れているように思われる。それは丁度、小さな涌き水が小川となり無数の小川が河となり、そのまた無数の河が何本もの大河となり、その大河がついには海に流れ込むようなものである。終着駅である大海にもたとえたれる共通の原点、万人が共に仰げる共通の光が、この世の中に現に実在している、と弘法大師は主張する。地球も空気も大自然も人類に共通のものであろうが、それら自然を含めてその原点に限り無く高い生命のいぶきを感じていくのである。この生命体こそほとけの中のほとけであり、真言宗では大日如来と名づけるのである。
  人々はえてして自己の信ずる神だけが正しくて他はにせものであると断定したり、自身のほとけだけが正しくて他はまやかしだと主張するが、それでは宗教のために争いになってしまう。宗教が人類の平和をさまたげてしまうことになる。
  私たちは自己の宗教をさらに一歩進めて、共通の光を求める立場のあることに気付こうではないか。
  こうした弘法大師の思索は曼荼羅思想(マンダラ思想)といわれ、幅広い支持を得てきたのである。心に曼荼羅を持っていさえすれば、私たちのものの見方は飛躍的に広くなってくる。切り口も沢山できる。日本人の多くの人々が神社とお寺を共に礼拝し、先祖を大切にしながら人生を生きるのも、弘法大師の曼荼羅思想ではじめて説明がつくのである。
  再び述べるが、世の中の不安に乗じて、社会の危機感に乗じて、いかさまな宗教がはびころうとするのである。有害な菌が梅雨の時節にはびこるのと同様である。
  私たちはあわてずさわがず、心に曼荼羅を思いながら、ご先祖様をお参りし、ご縁のあるお寺を参拝し、鎮守様のお祭礼に参加し、 同行二人どうぎょうににん -弘法大師といつも一緒-の気持ちで健全に生活していこう。
  法律を守り、道徳を重んずることも勿論大切なのだが、自分の心をできるだけ広く深く耕すことが最も大切なのである。



平成13年1月



※本頁の肩書きは、寄稿いただいた当時のものです。