VOL.13 南無大師遍照金剛

総合研究院 院長 平井宥慶



  わたくしたちは、「光明真言」をお唱えする運動を提唱いたしました。そこには真言宗の根本的なほとけさま「大日如来」のお徳が全て詰まっている、とお話し申し上げました。また、この「大日如来」への帰依は、ご縁のあった阿弥陀さまでも、お薬師さまでも、観音さまでも、どの門からでも入って、みなお仲間になれる、その入口にして、究極が「光明真言」です、とも申し上げました。今日は、同じことを「お大師さま」のお姿から迫ってみようと思います。

 

  「大師」は「弘法」に取られた、と世間は言う。「お大師さま」といえば「弘法大師」、「大師」といえば「弘法さん」に決まっている、というようですが、実は「大師号」は、どちらのお祖師さまでもお持ちです。最澄さんは「伝教大師」、日蓮さんは「立正大師」などなど、でも「大師」といえば弘法大師、これはもう、古不易のまこと、とばかりに、お大師さまは“取った”つもりはまったくありませんが、もう日本国民の共通項となっている如くであります。

 

  そこで「南無大師遍照金剛“なむだいしへんじょうこんごう”」とお唱えしますと、お大師さまがすぐ間近にお出でになるような気がしてまいります。「同行二人」で、お大師さまは、いつでも、何処でも、どんなお姿でも、おいでになられる、と信じられて1200年、お大師さまは今も修行に励み、艱難辛苦に悩み苦しむ 諸人もろびと どなたにでも寄り添い、その苦をともに分かち、又喜びがあればともに喜びて、大衆の生きる活力の源となっておられる、と信じられて今日まで、永遠の命を育んでまいりました。

 

  「南無大師」の「大師」は、言うまでもなく「弘法大師」のこと、前述しましたように、「こうぼうだいし」と言わなくても、「大師」だけで十分、ということです。「遍照金剛」は、もともと「大日如来」のことです。ですから「南無大師遍照金剛」と唱うれば、弘法大師と大日如来さまに、ともに帰依いたします、と意思表示を声高らかに標榜することになります。が、これで間違いはないのですが、今唱えるわたくしたち凡夫側の意識といたしましては、これ「大師遍照」で、お大師さま“いちにん”に帰依する、そういう気持ちでお唱えいたしております。これも間違いはありません。

 

  いま世界は混沌といたしておるようです。地球上のどこにでも、悲しいことですが、いつも争いが絶えません。「平和」を希求しながら、すればするほど争いがエスカレートするごとく、そして残念ながら、わたくしたち人の力は何とも非力、改善にむけて起死回生の手段はないかと想いながらも、どうにもその手立てが思いつきません。

 

  わたくしたち日本の昨今にも、2年前「東日本大震災」がございました。1,000年に1度というような大津波、それに加えて「原発被害」という、皮肉なことですが文明の文明による破壊とでもいうような、悲惨な現実に襲われております。しかもこれは現在進行形、という苦しみでもあります。

 

  わたくしたち真言宗豊山派といたしまして、宗内のお仲間に声をかけ、出来得る限りの募金活動、さらには現地に飛んで復興作業のお手伝い、はたまた仏事・供養のお力添え、いま考えられることをすべていたしておりますが、それでも現地に日々苦しむ方々にどれだけのご支援となっているか、はなはだ心もとない気も致しております。

 

  現地の或る壮年の男性からささやかれました。

 

  「オレたちはこの土地を離れられない、離れたくない、離れるつもりもない、いくらでも復興してみせる、いろいろ困難なことは多いが、これまで東北が被った歴史の試練に比べれば、ちっとも恐ろしくはない、でもたった1つ恐ろしいことがある、それはオレ達の存在が、日本中から忘れ去られることだ」と。

 

  復興に立ち上がることは、己自らの利益だけではない、この日本の大地を甦らせること、と自負できる、大げさかもしれないが、人間として崇高な生きた証となるものと言い得る。それが言い得るのは、この事態を日本人すべてが共有する意識あってのもの、ということであります。

 

  わたくしたちはそれぞれの立つ場所で出来ることをもって力添えをしていこうと思いますが、今はひたすら、犠牲になられた多くの方々の冥福を祈ろうと思います。話によりますと、あの津波に巻き込まれ残念な仕儀となられた方々を収容した安置所は、凄まじいありさまであったと聞きます。そこにどこの何方かは知りませぬが、丸い容器に土を入れ線香を焚いた方が居られて、それが場内を著しく和ませたといいます。また、地元の民生委員のおひとかたがこの場内のお世話に専念し、彼は知人の和尚さんに拝んでいただけるようお願いし、和尚さんも快く引き受けて、これで尊厳ある葬送の儀上と相成ったと聞きます。そうでなかったら、ここは死体処理場になってしまう。彼は言います、この方々は死体ではない、ご遺体ですよ、と。実は和尚さんの読経も声にならなかったそうです。和尚さんも近隣に多くの犠牲者をかかえ、こころに念じ唱えるのが精一杯であった、ということです。

 

  この顛末を書いた本が出版されています。またこれを原案に映画も作られています。その主人公をあの西田敏行さんがなさっていまして、監督もこの映画はお涙頂戴の映画ではない、1つの嘘もあってはならない、と肝に銘じて制作にあたったそうです。でも1つ事実とは違うシーンがある、主人公の西田さん、あの安置所に靴を脱いで入っています。時期はまだ極寒の東北、その冷たい床上で、靴下があるとはいえ、1日中靴なしのままではとても過ごせなかったのが現実、撮影は短時間刻みで撮りますから脱ぐのも可能、です。でも人間“西田”さんとしては、“遺体”を前に土足では居られない、撮影現場に立った時思わず脱いでしまう想いに駆られ、脱いでしまった、というのです。監督はシナリオには無いこの仕儀を採用し、こういうシーンになったというわけです。事実とは違うが、嘘ではない、これで人間の“真実のこころ”をつくシーンとなりました。

 

  お大師さまは、何処にでも、どういう格好にも化現なされておられるのかもしれません。大師の御心を己が御こころとし、大師が人々のこころを耕してやまなかった御生涯を鏡として、私たち人間は、日々精進のこころを忘れずに暮したいものです。

 

  そこでわたくしたちは、「南無大師遍照金剛」とお唱えしたいと念じています。お大師さまに呼びかけて非力な、己が日常に助力を願うとともに、ともすれば怠惰に流れかねない己が身の弱きこころを鼓舞するために、ともかく唱えようと思います。わが真言宗豊山派はこの一両年、この宝号「南無大師遍照金剛」をお唱えする運動を、宗団挙げて遂行しようと考えております。

 

  過日、全国版大新聞がいま「もっと知りたい日本の名僧」というアンケートをし、その第1位が「空海」でありました。それも2位以下を圧倒的に引き離してのことでした。さる出版社が「仏教を歩く」というシリーズ刊行物で、第1回配本が「空海」特集でしたが、これが仏教書として爆発的な売れ行きであったといいます。また、ある仏教雑誌社が、「空海と真言宗がわかる本」という企画モノを出版したのもつい近時であります。

 

  「空海」大師は“いつでも”“どこでも”おいでになられる、この思いが「安心」と生きる「勇気」を鼓舞してくれる。そしてもし心が荒ぶるようなことがあったら、ともかくお大師さまを思い出してみる、お大師さまが終生願った平安な世界の現出のために。

 

  この想いで「南無大師遍照金剛」と、お唱えいたしましょう。

 

平成25年11月1日



※本頁の肩書きは、寄稿いただいた当時のものです。