VOL.16 弘法大師理解の多様な方法

真言宗豊山派宗務総長 星野英紀

  弘法大師空海を理解しようとするアプローチはいくつもあるが、大きく分けて三つあるように思う。

 

  一つ目は、弘法大師空海の人間的側面を見ようとする立場である。人間としては空海も私たちも同じである。極端にいえば、空海さんも私たちと同じように、喜び、悩み、悲しんだに違いないということである。

 

  二つ目は、空海は普通の人間というよりも超絶的能力を持った天才であるという立場である。今の若者表現でいえば「チョー」が頭につくような才能を持つ。「チョー頭いい」、「チョー秀才」、「チョー天才」というような人が弘法大師空海さんである。宗教的実践家としても宗教思想家としても、飛び抜けた存在だという立場である。「チョー天才弘法大師」などというと、怪しげな、狂信的弘法大師崇拝のように思われるかもしれないが、善意ではあるものの、多少「いっちゃってる」感のある僧侶もここに入る。

 

  三つ目は、しっかりした資料(史料)に基づいて、もっぱらそれに基づいて、厳密に空海像を再構築しようというアカデミックな空海研究である。宗学者の弘法大師理解もこのカテゴリーに入るものであろうが、近年非常に進んできた歴史学者たちによる空海研究や日本密教研究もこの領域なのではないかと思う。

 

  実は「空海も人間だ」派も「空海は天才だ」派も「アカデミック」派も、必ずしも相互にあい対立しているわけでない。ほとんどの空海理解はそのいずれを備えている。ただし、どれらか一方の見方に重点が置いているということである。

 

  ところで、私は最近あまり読書の時間がとれず困っているのであるが、そうした環境のなかで、保坂隆さんという精神科医の『空海に出会った精神科医‐その生き方・死に方に現代を問う‐』という本を読んだ。

 

  総本山長谷寺への往復電車のなかで読んだので、かなり雑かもしれないことをお断りしておくのであるが、その中で「空海はうつ病だった?」という章があり、それも大師は生涯で三度うつ病に襲われたという指摘である。それを聞いただけで頭から湯気を出して怒る人がいるのが目に浮かぶようである。著者の弘法大師理解は自らの精神科医として磨いてきた経験と知識を用いながら、空海のライフコース理解を進めようとするものである。「空海には三回ほど重篤な疾患に罹り、死を思っていた時期がある」(松長有慶『空海』)ということはしばしば指摘されていることであるが、保坂氏によればそれは現代人にも蔓延しているうつ病の症例研究で理解できるという。弘法大師は「几帳面、律儀、綿密、きまじめ、責任感や正義感が強く、凝り性で仕事熱心」という特徴があり、この性格はうつ病になりやすい性格なのだという。つまりこのあたりは精神科医として弘法大師空海を捉えようとしている。ただし、客観的に心理学的に空海を分析しようという立場にとどまっているのではない。たとえば空海の入定をめぐる記述には、著者の空海への深い熱い思いがあふれている。

 

  かつて弘法大師の書の文字を分析して、その書を書いた時の弘法大師の心理状態を解釈する番組を見たときにも、面白いことを考える人がいるのだなあと感心したことを記憶している。

 

  私はこうした「人間空海」を捉える方法に大変興味を抱いている。私の中では、即身成仏を達成した空海とうつ病になった空海はまったく矛盾していないのである。むしろ、こうした人間空海論を読むと一層弘法大師が身近になるように感ずる。

 


平成29年7月1日