VOL.1 花まつりについて

VOL.1
花まつりについて

 4月8日はお釈迦さまのお誕生日です。今から約2500年前(西暦紀元前550年)ヒマラヤのふもと、インドのシャカ族の王族としてお生まれになりましたが、人生の真実の意義を求めて身分も政治も捨て、6年間の苦行の後に、その苦行の生活をも捨てて、35歳でご自身の進むべき道をはっきり確認されました。これを「さとり」とか「成道(じょうどう)」と申します。その内容は次のようです。<人間は信じられないものを無理に信じたり、迷信などにまどわされたりしないで、できるだけよく考えて本当に納得できるものだけを求めて生きていこう。心をひらいてより高いものを求めよう>というのです。

 当時のインドの社会は因襲的で閉鎖的な考えが強く、人々の心は神話の神々に支配されていました。したがって、お釈迦さまの考えは、人々の心に真の自由と平和をよびもどすルネッサンス運動であったといえるのです。

 現在まで伝わっている誕生についての物語は、後世の伝記作者たちが敬虔(けいけん)な、かつ、たくましい想像力によって制作したものですが、その一つがこのはなしです。<お釈迦さまは生まれるとすぐに四方に向かって七歩づつ歩かれ右手で天を、左手で地を指しながら大音声で「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言された>というのです。これは全く大胆かつ自由きわまりない発想といわねばなりません。生まれたばかりの赤子を歩かせたうえ、天地を指して「われこそはこの世で最も尊(とうと)いものである」と名乗らせるのですから。それにもかかわらず長い長い年月、この物語ができてから2000年以上もの間、人々がお釈迦さまの誕生を想うときに必ず頭を横切(よぎ)ったのがこの物語であったのです。「われこそは」とは「人間こそは」の意味で人を信じ人を愛し、人々の心を解放するために80年のご生涯をささげられたお釈迦さまの面目(めんもく)が躍如(やくじょ)としています。つまりこの物語はお釈迦さまのご生涯をみごとに象徴している、と私は受けとめております。

人絶えて蝶の来ており甘茶仏

真言宗豊山派総合研究院院長 加藤精一

※本頁の肩書きは、寄稿いただいた当時のものです。