VOL.5 宗教対立と仏教の平和主義

真言宗豊山派宗務総長 大塚惠章

 現今の世界情勢、及び日本国内の社会情勢に関連して真言宗豊山派として一言発信したいと存じます。先ず自衛隊のイラク派遣につきましては、自衛隊が戦争に参加するわけではないことを前提にいたしましても誤解を招きかねないし、かなりの危険も予測されるところから決して好ましいことではありません。私たちは日本国憲法の戦争放棄の精神を忘れてはなりませんし、仏教の平和主義からいって十分注意しなければなりません。しかし、このたびの政府の政治的決定について宗団として総括的に賛否を論ずることはいたしません。それよりも私たち仏教徒が強く主張しなくてはならないのは、仏教が釈尊以来、持ち続けている仏教的平和主義についてであります。
  現在の世界各地での戦争は、相手方への不信感の根底に宗教の対立が見られるのであります。神話の神々の対立は民族や国家の対立を生み、実際には宗教が世界平和を妨げているといえるのであります。
  こうした宗教対立はすでに釈尊の時代のインドでも見られたのであり、釈尊はそうした対立の現状を打解するために、それまでの宗教とは全く異なった立場を主張されました。これが仏教でいう「縁起の教え」であります。「この世のすべては因と縁によって生ずる」という縁起の理法に立つことによって仏教は神話の神から離れることができ、その結果、他の神々について否定したり肯定したりする必要がなくなったのであります。神さまの代わりに真実を覚った人、仏陀を仰いで生きていくのが仏教の基本なのであります。釈尊によって提唱されたこうした平和主義はその後、わが国では聖徳太子の和の精神、そして弘法大師の曼荼羅の教えに引き継がれ現在に至っております。私たちは今、自衛隊の海外派遣についても十分検討することは大切ですが、仏教徒として仏教の平和主義をもっと深く理解して世界の宗教対立に一石を投じなければならぬと考えております。
  仏教の主張、そして弘法大師の教えの特色をつかんで毎日の生活に生かしていくよう宗団皆様の一層の御尽力をお願い申し上げます。
  次に国内における治安の悪化等につきましては、何と申しましても国民の道徳心の低下によるのであると思います。弘法大師の十住心思想によりますと第二住心が儒教を中心とする道徳を重んずる生きかたであります。道徳を守ることは真言宗といたしましてもきわめて重要なのであります。しかし、ただ単に道徳を説くというのではなくて、人間の心の奥底を深く観察することを強調された弘法大師にならって、人のいのちの大切なこと、それをうばわれた肉親の人々の心のうらみ、つらみ、おんねんの深さなど、自分一人が刑を受けたところで少しも薄まらない何代も続く恐ろしさなどを人々に教えていかねばなりません。それこそ仏教の、真言宗の布教なのであります。心の自由を得るにはそれなりの義務も必ずついていることも、もっと知らしめなければなりません。
  以上のような望ましからざる現状をただ悲しみ傍観しているだけでなく、国の内外に対して私たちの主張を今後とも浸透させる努力を払いたいと願っております。

 

平成15年12月24日



※本頁の肩書きは、寄稿いただいた当時のものです。