VOL.8 真言宗と靖国問題

真言宗豊山派総合研究院 院長 加藤精一

  かつての靖国問題は、総理大臣が神社庁に属する靖国神社に参拝することが憲法に違反するのでは、ということから、靖国神社を神社庁から切り離して国立の特別な法人とするか否かの問題であった。当時の仏教界は当然ながら反対した。ところが、現在の靖国問題は論点が変化してきている。それは、A級戦犯の合祀されている神社に総理大臣が参拝することの是非が問われているからである。そのために、靖国神社とは別に慰霊の場所を新設してはどうかということになる。これらの問題を真言宗としてはどう考えるか、である。私たちは論点の変化や問題の複雑さを胸に置きながら、お互いに十分に理解し、しっかりした意見を持たなければならない。
  数年前になるが、小泉内閣発足後間もなく、自民党であったか、内閣府からであったかアンケートが求められた。内容は無宗教の参拝場所を作ることの是非についてであった。これに対して豊山派では、宗教を離れた場所は無意味であり、特に政教分離してない公明党と結ばれている現政府では、内容的に現実不可能であろうし、そういうことを考える資格が無いのではないかと返答した。
  最近中国や韓国から首相の靖国参拝を反対され、特に韓国からA級戦犯が合祀されていない新しい慰霊の場所を作ってほしいという異例の要望もあり、国会でも自民党など三党でそうした施設を考える会が立ち上げられている。
  ところで、A級戦犯を犯罪者とみるか否かは東京裁判の判決を認めるか否か、ポツダム宣言受諾と密接な関係があり、また処刑された七名以外の人々は、その後釈放され政財界の指導者に復帰していることなどを考え合わせると、国民の多くは、七名の合祀がそれほど問題にならないと考えているように思う。靖国神社の立場からも分祀はできないと述べている。中国や韓国が反対するのはここである。
  そこで、考えられるのが、新しい施設の建設である。国民共通の慰霊の場所を作り、みたまや英霊をまつることはできないのであろうか。私見を述べればわが国の一般的な精神生活は神道と仏教とが手をたずさえて支えてきたのであり、この現実を思えば仏教界と神道界とが先ず相談し、共に参詣できるような場所造りの工夫をこらすべきと思う。他の宗教はこれに参加するという形で進めればよい。しかし、カトリックや公明党がそれを認めるか、はなはだ疑問である。
  真言宗の立場からすれば、そうした施設には金胎の両界マンダラを安置すれば他のすべての宗教が含まれ網羅されているから最適であるということになる。かつて、大阪の万博会場の中央に曼荼羅が飾られていたことがあったが、マンダラの精神を多くの人が支持してくれれば可能だと思う。
  以上述べてきたようないわば理論的な教理がからんだ論議とは別に、昨今検討されているのは、施設には宗教性を持たせずに、参拝する人々がそれぞれの思いで祈る場所を国家の手で作ろうというものである。こうした場所は世界中に存在するし、日本でも沖縄の「平和の礎」「千鳥ヶ渕霊園」などもその例かも知れない。毎年8月15日に催される武道館の全国戦没者慰霊祭を恒久化したような場所と思えばよいであろう。しかし、これは「だれでもが参拝できる場所」という意味ではよいのだが、きわめて便宜的に、外国から押しつけられて突然できるようなもので、実現は可能であろうが、意味が薄まってしまう感が強い。
  これなら天皇陛下も総理大臣も参拝できるというのだが、定着するまでには時間がかかるであろうし、靖国神社への思いが残っている間は、違和感があるに違いない。宗派としては反対の気持ちは無いとしても、はじめに挙げたような、教理上で他の宗教と対話し研究し、深い意味で他宗教と共通の思いを求める努力は続けなければならない。私たちは宗祖弘法大師がめざしておられる世界の平和への方向に今後とも努力しなければならないであろう。靖国問題を考えると同時にこれを真言宗の課題として発展的に研究する必要を痛感するのである。なぜならばそのことが新しい十住心思想の展開につながるからである。

 

平成17年11月10日



※本頁の肩書きは、寄稿いただいた当時のものです。