VOL.18 「人は見ようとするものしか見えない」

真言宗豊山派宗務総長 星野英紀

 

 新しい年を迎えました.一年を通じ皆さまにはすこやかな日々をお過ごしになられますよう心からお祈りいたします。

  お正月のお餅やおせち料理に胃腸が疲れを覚え始めたころ、七草粥ななくさがゆを食べる日がきます。七草とは、せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ、の七つの草であるのはご存じの通りです。

  さて、そのなかの「なずな」とはどういう花かご存じでしょうか。ものの本によれば「別名をペンペングサともいいます。いなかの道ばたなどに、ひっそりと、小さな白い花をつける春の雑草です。」と、ややそっけなく説明されています。つまりなずなとは特に姿、形が美しいとかいうわけでもなく、味も美味しいとかいうこともなく、また立派な花をつけるわけでもありません。

  ところが江戸時代の俳人松尾芭蕉には、「なずな」をうたった、とても有名な句があります。

 

  よく見れば なずな花咲く 垣根かな

 

  ある日、芭蕉は、ふと道ばたにこの花が咲いているのを見て、はっとこの句を思いついたのではなかろうかとも言われます。雑草といわれ、普段ほとんど注目されない「なずな」であるが、道ばたでそれなりに可憐な白い花をつけているではないか。つまり一見、何の特徴もないようなものでも、それなりに持ち味とか個性をもっている、取り柄の無いようにみえるものでも、それぞれが花をつける可能性があるのだと言っているのです。

  私たちは、とかく目につきやすいもののみに、新しいもののみに目が行きがちですが、実は世の中にはそれぞれが精一杯生きて頑張っている存在が沢山あるわけです。それを見る私たちの視野が狭いばかりに、その存在に気がつかないだけなのです。

  「人は見ようとするものしか見えない」という言葉を聞いたことがあります。本当にそうだなと思い、それ以来、気に入っています。私たちの眼の前には無数の事象がつぎつぎと通り過ぎていきます。私たちはそれらをすべて見ているはずなのですが、記憶していません。実は自分が関心を持っているものしか記憶していません。どのように大切なこと、重要なことでも自分が関心を持っていなければ、人間はそれを掴まえることができません。

  だから人間は、しばしば、本当のもの、大切なものを見逃してしまう、困った動物です。しかし、人間の特徴は「時がたつと、人間は変わる」ことです。仏教では「諸行無常」といいますが、それは、まさに人は変わるものだという意味です。いま見えなくとも、来年になったら、いや明日になったら、大切なものが見えるかもしれないという可能性を人間は持っている、という意味です。今見えなくとも明日見えるかもしれないのです。そのことが「成長する」というわけです。ですから、成長を信じて私たちは、今日は我慢をする、努力するということが必要なのだと思います。それが仏教でいう「精進」だと思います。

 

平成30年1月1日