VOL.19 「一つ得るには一つ捨てること」

真言宗豊山派宗務総長 星野英紀

 次のようなお話があります。
「いのちの水」と呼ばれる永遠の命が得られる水を求めて、三人が旅を続けていました。一人は立派なよろいをつけた筋肉隆々の戦士、つぎは魔法のマントを着ていて魔法を自由に使える女性、そして三人目は大金持ちの商人で、服のポケットというポケットすべてに金貨をいっぱい詰めていました。

  三人は、幸運なことに「いのちの水」が流れ出る泉に出会いました。さらにびっくりしたのは、その水を飲むには怪力も魔法もお金もいらないことでした。ただひざまずいて、両手ですくえば良かったのです。

  ところが、いざ水を飲もうとしたら三人ともそのままでは水を飲むことができなかったのです。それは重い鎧のせいで戦士は身をかがめることができなかったのです。魔法のマントが水に濡れると魔力を失うので、女性もまた水が飲めなかったのです。大金持ちの商人は身につけた大金が邪魔をして、泉にかがみ込むことができなかったのです。

  ただし、水を飲む方法はただ一つありました。それは、戦士は重い鎧を脱ぐこと、魔法使いは魔法のマントを脱ぎ捨てること、商人は大金を手放すことでした。

  つまり大切なものを手に入れるには、それまで大切にしていたものを捨てる必要があるいうことです。

  これはお経にあるお話ではありません。しかし仏教の真髄を語っています。一つ欲しいときは持っているものを一つ捨てることです。余分なものはいけない、小欲知足しょうよくちそくが大切という仏教の教えを、このお話は教えているように思います。

  ところが、昨今の世界情勢をみているとまことにさもしい気持ちになる話が蔓延しているように思います。世界平和の実現という人類永遠の夢に逆らう話ばかりです。

  一九九〇年頃には、第二次世界大戦終了後の東西冷戦体制という仕組み、戦後の人類を悩ませ戦争の恐怖におののかせてきた世界の仕組みがなくなりました。年配の方々がよくご存じであり、冷戦の象徴でもあった東西を分けていた「ベルリンの壁」が取り除かれました。喜びの表情に充ち満ちた人びとが壁によじ登り、壁を壊していく写真が世界を駆け回りました。「これで平和な時代が来るぞ」と多くの人が思ったのです。

  しかしあにはからんや期待は大きく裏切られ今に至っています。領土を巡る争い、地下埋蔵資源の所有権を争う対立、民族が違うということから起因する同一国内での紛争など、冷戦時代よりかえって対立、抗争が激しくなっています。ひとつ日本を取り上げても、隣国とのトラブルは過去よりも激しくなっているように思います。

  仏教徒は、お釈迦さまの教えの根本である「すべての苦しみ、悩みの根源は欲にある」という考えをさらに自覚して、仏教徒としての理想を一層主張する必要があると確信します。




平成30年3月1日